私は大学時代、某法律学系サークルに所属しておりました。そのサークルにいた先輩にこう言われたことが今でも印象に残っています。
人間は言葉でしか「もの」を考えることができない。
その時私は「まあそりゃそうだわな」くらいに考えていました。しかしながらその後自分の思考パターンというものを考える機会があってふと我に返ってみると、「いや、そうとばかりは言えないなあ」と考えるようになりました。考えるというか、私自身がちょっと異なる思考パターンを持っているのが如実に理解できるようになったのです。
私には読書の習慣がありません。活字離れ世代の代表みたいなものです。大学の頃は読書をする時間があるなら音楽を聴く時間に充てるという生活を送っていたので 汗。というか、中学生時代に音楽に目覚めてからはずっとそうだったのかもしれません。そういう事情からか、活字を書くことや活字で考えることに全く馴染めず、論理的にものを考えることが非常に苦手でした。今でも決して得意とは言えませんし、すぐ非論理的な感情論に走りがちです (^^ゞ。しかしながら「ものを考える」ということは確かに行なっておりましたし、いろんな決断もしてきました。でも「言葉を使って」というのとは違うんですよね。じゃあどうやって考えていたのか。
私は「場面」でものを考えていたと思います。「場面」というか「スクリーン」で、と言った方がより近いかもしれません。そこに「言葉」というものはほとんど出てこなかったと記憶しています。何かを考えようとすると、まずとある情景が映し出されたスクリーンが頭に浮かんできます。そしてそのスクリーン上でいろんな展開が起こるのです。そこにはいろんな人が現れて、その人達の表情や仕草が結構はっきりと映し出されます。それらを元に直感で判断する、ということが当時の私にとって「ものを考える」ということでした。「何言ってんの?」とツッコミまくられそうですが、事実なんだからしょうがないです。
最近でこそ少しは論理立てて考えられるようになった(つもりな)のですが、論理的に考えようとすると発想が貧困になってしまったり、変に自分を押し殺したような意見になっちゃったりすることがよくあります。昔の癖からなかなか抜け出せないようです。
…そんなことを考えていたらもう夜中…(寝なきゃ
投稿日時 : 2005年08月09日(火) 01:21